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最高裁判所第一小法廷 昭和41年(行ツ)69号 判決 1967年1月19日

仙台市越路三三番地の一八

上告人

久慈照代

右訴訟代理人弁護士

林昌司

仙台市東二番丁七三番地

被上告人

仙台北税務署長

佐々木定次

右当事者間の仙台高等裁判所昭和四〇年(行コ)第四号贈与税処分に対する審査決定取消請求事件について、同裁判所が昭和四一年五月二四日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人林昌司の上告理由について。

論旨は、所論宅地は上告人が父三朖より買い受けたものであると主張し、そのことを前提として、本件贈与税賦課決定を違法でないとした原審の判断が憲法一三条に違反するという。

しかし、所論宅地は上告人が買い受けたものでないこと、原審の認定するところであり、同認定はその挙示の証拠に照らして是認し得るに十分である。されば、論旨は、その前提を欠くに帰し、排斥を免かれないものといわなければならない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長判裁官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 大隅健一郎)

(昭和四一年(行ツ)第六九号 上告人 久慈照代)

上告代理人林昌司の上告理由

一、原判決は、漫然第一審判決を支持し、憲法第十三条に違背し上告人を個人としての尊重をしない。

(一) 本件宅地の所有権取得は、上告人が訴外久慈三朖との売買に因ることは、甲第一号証、甲第二号証の存在により明認すべきである。而もその代金の支払いは、甲第三号証の(一)(二)及甲第五号証の(一)(二)(三)の存在により是亦明認を得るところである。

(二) 然るに原判決は、上告人が訴外三朖の娘であり且つ同居してゐる等の点からと、尚且審査請求に対する冒頭からの誤りの意思表示と、及其の後の事実に反する陳述殊に其の代金支払いの為め七十七銀行からの借入金による支払いの点、(乙第三一号証中銀行からの借入れは昭和三六年二月三日である事実)等は上告人のこの事に干する代理人訴外三朖の思い違いであつた点。については、本件につき訴の提起後、前記の誤りの申立ての事実につき訂正補正したのである。

上告人が人頼みで(審査請求の事項等につき)委せきりにしてゐた事が誤りを繰り返した原因であつたのである。

(三) 思い違いや、それに因る誤りを訂正することは、而かも事実に即して、証拠に因つて、これを正すことは、真実を明かにする上に於て誰はばかるところがない筈である。

「金銭は親子でも他人」とは、古くから諺にもある通りであり、民事裁判上に於ても、親のものと、子のものとは、明かに区別すべきことは、法例上も明かで、他言を要せない。

而してこの事は、親子が同居してゐると否とに拘ることなく、その区別は明確に判断すべきである。

本件の如く上告人が訴外三朖(父親からの)との売買而かもその代金の支払いにつき明かな証拠を提出してあるに拘らず、同居の親子なるが故に、それを認めないといふことは、経済干係は親子と雖も別個独立で財産所有し得るものであることを、敢えて看過した誹を免れないし、憲法の保障する個人としての尊重を無視裏切るものである。

(四) 国民として正当なる税金を払うことは当然の義務であるが、本件の如く真の売買なるに抱らず、而かも登記義務者訴外内ケ崎武次郎と訴外三朖との売買に因る所有権移転登記手続前の為上告人に於て飛躍登記した事実からも、上告人に贈与税を附荷すべきものではない。

親子間に売買は、ないといふ先入観念からの独断に因る不当な税の決定は、税務官吏の権利の濫用であり、基本人権の侵害でもある。

(五) 而かも本件宅地については、昭和三四年九月十四日上告名義に所有権移転登記がなされてゐるに拘らず約三年弱の年月を経た昭和三七年五月十六日壇なる、独断による、権利濫用の結果による贈与税の決定を為した事は、事務怠慢の誹は勿論不当な措置である。

(六) 上告人は飽く迄真実に基く正しき裁判を希求する。

真実発見に熱意なく、慢然安易な、形式的な審判に終始する原判決は不服である。

(七) 訴外三朖との同居者なるが故に市民税の対象にならず従つて、之が納付の事実はない。だからといふて資力がないといふことは、云い難い。即ち本件不動産の買受け代金は、上告人名義の鉱業権を帝国石油に譲渡したその代金を以つて支払つたものである。

以上の通りにつき原判決を破棄し差戻しの裁判賜はり度い。

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